
年に二回、東京ビッグサイトに何万人もの人が集まり、机の上には手作りの本が並ぶ。コミックマーケット、通称コミケは、単なる即売会という言葉では収まりきらない規模の経済圏を作り上げてきた。そこで頒布される作品の多くは、既存のアニメや漫画、ゲームを元にした「二次創作」であり、本来なら原作者の許諾が必要になりうる領域にまたがっている。それでも長い間、コミケという場は大きな摩擦もなく続いてきた。お金がどれくらい動いているのか、そして著作権という建前とのあいだにどんな折り合いがついてきたのかを、断定を避けながら整理してみたい。
数十万人が集まる非営利の即売会
コミックマーケットを運営するのは「コミックマーケット準備会」と呼ばれる団体で、営利企業として観客動員を競うイベントではなく、参加者自身が作り手でもあるという理念を掲げて運営を続けてきた。開催は夏と冬の年二回、会場は東京ビッグサイト。出展する個人・グループは「サークル」と呼ばれ、その数は一回の開催で数万に及ぶ。
準備会が公表しているアフターレポートによれば、2024年12月29日から30日にかけて開かれたコミックマーケット105では、入場者数が各日15万人、二日間でのべ30万人、サークルスペース数は約2万9千だった。準備会はこれを「コロナ禍後最も多くの皆さんに有明の地に集っていただきました」と記し、一日あたりのスペース数では過去最大規模になったとしている。ただし「来場者数」は延べ人数なのか実数なのか、無料入場や出展者本人を含むかどうかといった数え方が発表や年度によって揺れるため、単純に他の年やほかのイベントと比較する際には注意が要る。
市場の規模は、どこまでを数えるかで変わる
この規模の即売会が年に何度も開かれ、しかもコミケだけではない。準備会自身が文化庁の審議会に提出した資料では、同人誌即売会は日本全国で年間千回程度開かれているとされる。これだけの数が積み上がれば、同人誌という商品カテゴリ全体の市場規模も相応に大きくなる。矢野経済研究所は「オタク」市場の主要分野の一つとして同人誌市場を継続的に推計しており、2024年度まで四期連続で成長したとしている。
ただし、その分野別の金額そのものは有料の調査資料に収められており、無料で公開されている範囲では確認できない。本稿でも具体的な金額は挙げない。「同人誌市場は◯◯億円」という数字は媒体を通して流通しているが、これがあくまで一つの調査機関による推計であり、対象範囲の取り方次第で動くという点は押さえておきたい。オリジナル同人と二次創作同人を分けているか、海外向けの取引をどこまで含めるか、データ配信をどの範囲までカウントするかは、調査によって前提が異なりうる。金額を見かけたときは、それが何を合算した推計で、どこまで検証できるものなのかまで確かめる姿勢が要る。
「販売」ではなく「頒布」と呼ぶ理由
同人誌業界では、お金を受け取って本を渡す行為を「販売」ではなく「頒布」と呼ぶ慣習が根強い。この言葉の由来には複数の説明があり、原稿を仲間内で回覧するための実費精算に由来するという説もあれば、単に有償・無償を問わず物を配る行為全般を指す一般的な語にすぎないという解釈もある。どちらが正確かは資料によって説明が分かれるため、ここでは「頒布という言葉を選んで使う慣行がある」という事実だけを押さえておきたい。
お金の流れとしては、サークルがまず原稿を仕上げ、印刷所にオフセットやオンデマンドで発注し、刷り上がった本を即売会当日に自らのスペースで頒布する、あるいは委託販売店や通販サイトに卸すというのが基本の形だ。ここに印刷代、スペース参加費、遠方からの交通費や宿泊費が積み重なる。頒布価格を高く設定できる人気サークルばかりではなく、実際には経費を差し引くと赤字になっているサークルも珍しくないとされる。多くの参加者にとって、これは事業というより趣味の延長として続けられている活動だ。
著作権の建前では、原則として許諾が要る
ここからが本題の核心になる。著作権法の建前を整理すると、既存のキャラクターやストーリーを翻案して新しい作品を作る行為は、原作の著作権者が持つ権利に関わる。既存の著作物を土台にした二次的な著作物を作り、それを公にする場合、本来は原著作者の許諾を得るのが原則だ。ところが二次創作同人誌の多くは、この許諾を個別に得ないまま作られ、頒布されている。ここに、法律上の建前と実際の慣行のあいだの隔たりがある。
もう一つ押さえておきたいのが、著作権侵害が原則として「親告罪」だという構造だ。親告罪とは、権利者自身が告訴しない限り公訴が提起されない犯罪類型を指す。つまり原作者や版元が動かなければ、刑事手続きは始まらない。TPP11(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)の締結にあわせた著作権法改正で、2018年12月30日から著作権侵害罪の一部が非親告罪化された。ただし対象となるのは、対価を得る目的で有償著作物を「原作のまま」複製・譲渡し、権利者の利益を不当に害する場合という三つの要件をすべて満たす海賊版行為などに限られる。文化庁自身が、コミックマーケットにおける同人誌等の二次創作活動は「一般的には、原作のまま著作物等を用いるものではなく」非親告罪とはならないと考えられる、と説明している。
なぜ「黙認」という形が続いてきたのか
親告罪という制度は、二次創作が黙認されてきた理由の一つにすぎない。もう少し広く見ると、複数の要因が重なっている。まず、二次創作は原作の話題化やファン層の拡大につながる面があり、権利者側からすれば費用をかけずに得られる宣伝効果として働いてきたという見方がある。次に、コミケだけで数万というサークルを一つひとつ監視し、権利行使の要否を判断するコストは現実的でない。そして、コミックマーケット準備会自身が頒布禁止物として「著しく知的財産権を侵害する物」を挙げ、行き過ぎた二次創作に一定の歯止めをかける役割を担ってきたことも、大きな摩擦を避けてこられた要因の一つとされる。
この均衡は、日本のコンテンツ業界に独特の相互不可侵に近い側面があったとも言われる。他社の人気作品を題材にしたパロディが珍しくなく、それが大きな問題に発展することもほとんどなかった歴史があり、そうした積み重ねの結果として、権利者の側にもある種の寛容さが根づいてきたという説明がされることがある。ただし、これはあくまで慣行として続いてきたという話であり、法的な権利関係そのものが消えたわけではない。
ガイドラインを公開する権利者も出てきた
黙認という曖昧な状態に頼るのではなく、自ら二次創作の可否を明文化するガイドラインを公開する権利者も増えてきた。よく知られる例に『東方Project』のガイドラインがある。「個人でのファン活動としての二次創作は、常識の範囲内で基本的に自由です」としたうえで、守るべき条件を列挙するという書き方だ。2024年5月31日の更新では、クラウドファンディングについて「個人活動の範囲を超える資金集めに伴うトラブルに、版元として責任を負いかねる為、基本的に実施しないでください」という一文が加わった。時代の変化に合わせてガイドライン自体が更新され続けている点も特徴だ。
こうした明文化には功罪の両面がある。良い面としては、どこまでが許容範囲なのかが事前にわかるため、創作者が安心して活動できる。悪い面としては、細かい条件が付くほど、これまで曖昧だったからこそ許されていた自由な余地が狭まるという指摘もある。ガイドラインを公開する権利者と、これまでどおり沈黙を保つ権利者との差も生まれつつあり、業界全体で足並みがそろっているわけではない。
曖昧な均衡は、いつでも変わりうる
コミケという場と、そこで動く同人誌の経済圏は、著作権の建前を厳密に適用すれば成り立たない部分を、黙認という曖昧な運用で支えてきた。それは特定の誰かが「合法だ」「違法だ」と決めつけられるような単純な話ではなく、権利者が権利を行使してこなかった歴史の積み重ねの上に、たまたま安定して見えているだけの均衡だと捉えたほうが実情に近い。
この均衡を支えているのは、書き手が原作への敬意を忘れないこと、頒布物が原作のイメージを著しく損なわない範囲にとどめられていること、そして権利者側が過度な取り締まりに動かずにきたこと、その三者のバランスにほかならない。前提のどれか一つが崩れれば、均衡もまた形を変える。だからこそ、この経済圏に関わる誰もが、節度と敬意を保ちながら関わり続けることに意味がある。